このシリーズ長すぎない?w
「社会貢献事業」というテーマで書いてきて、今回のその5回目です。
「こころのあかり絵画コンクール」と二大事業であるもう1つの被災地支援「鯉のぼりプロジェクト」が
生まれるまでのストーリーを書き始めました。
正直長いよ・・とお感じの皆様、安心してください!
まだまだ続きますww
前回のエピソードの中で、ボクがFちゃんにした提案
「その被災地ボランティアをボクと組んでやらないか?」
ここから具体的な話が進みます。
安心してください。もう被災地に行きます。
(前置きは少しだけありますw)
もともとはボクのアイデアではなかった
ボクとの会話で
Fちゃんが何気なく言った一言。
「現地は本当にボランティアも全然足りてないし。
だから、心理学の同期の子たちを誘って、GWにみんなで被災地にボランティアに行こうと思ってるの。」
前回も言いましたけど、ボク誘われてませんでしたw
え?誘われてないんだけどって言ったら
「いやさ。あなたは経営者なんだから忙しいds・・ごにょごにょごny」
と顔を背けながら言いましたね。
ボクら心理学を勉強してる同期だよ?
君の考えぐらい・・・・泣いていいですか。
これならボクなりに貢献できることがありそう。
まぁそもそも誘われてないだけど(しつこい
「その被災地ボランティアをボクと組んでやらないか?」
と彼女に伝えつつ、続けて
「どうせ行くならボランティアだけじゃなく、心理カウンセラーの資格も取ったんだし、
傾聴活動なんかもしてみよう。自分たちなりの支援を考えようよ。」
「それと交通手段とコストはウチの団体で負担するよ。金銭面での負担を考えて
参加を控えるような人を減らすのは意味があるし。こういうのって続けないと。
あと、現地との調整とか調査はボクがやるから」
そう言うと彼女は快諾してくれて、GWに心理カウンセラーを連れた
「ボランティアツアー」が決定した。
まぁここからが大変だったんだけど。
見るとやるでは大違い。
早速、このボランティアツアーを成功させるための調整が始まった。
ただ・・いきなり大きな壁が立ちはだかる。
東京では、現地の正確な情報が全く入ってこない。
確かに状況は日々、流動的に変わっていくので、
静止点を持って情報を把握するのは無理というのはわかる。
前の記事でも書いたが、マスコミの情報は全くアテにならず。
特にテレビは全くダメ、新聞もうーん。
実は一般聴取者からの情報で成り立っていて、
SNSに最も近い「ラジオ」の情報が一番役に立ったという。
(あれ?今のコロナ報道に似てない?)
まず確認したかったのは、「現地に持っていくもの」
現地で欲しがっているような物資があれば、持っていきたい。
また、自分たちが使うようなものでも「現地に無い」もしくは「品薄」のようなものであれば、入手できなかったり、貴重な物資を現地の人から奪うようなことになってしまう。
それだけは避けたい。
できれば
「こっそり行って
やることだけやってお邪魔にならないように
こっそり帰る」
が理想だったので。
それと、これは現地の経済効果を考え、
「現地で潤沢にある物資はその場で購入しよう」
と考えていた。
そのため、現地での物資の事情は関心事だったのと、それに関連して、
「現地が本当に欲しがっているものは何なのか?」という情報はほぼ無かった。
これは地元にあるどこかの団体と提携しなければ、難しい・・・と思っていたところへ、
Fちゃんから「ここなら話聞いてくれるよ」と仙台にあるNPO法人を見つけてきてくれた。
今思うと、この団体さんも元々は「学生さんを支援する目的」で設立されていた。
甚大な被害を出した東日本大震災が起きてしまったため、当時は被災地支援を中心に活動されていた。
今まさに「学生インターン」や「学生の就活支援」などをしている団体の顧問をしているってのも
不思議な巡りあわせだなぁと・・・。
そして計画は本格的に走り始めた
地元のNPO法人さんともつながり、情報は少しずつ入ってくるようになった。
ただ、現地の人たちも忙しく、ボクらの対応だけをするわけにはいかないので、
どうしてもレスポンスは悪くなる。
しかも、直接電話するのは相手に迷惑がかかるし。
今ほどはSNSは発達していない。メールでのやり取りがメイン。
それでも前よりはずいぶん改善され、
情報は入ってくるようになった。
ただここでひとつ不安がよぎるようになってきた・・・。
ボク自身も全く土地勘もない、情報も少ない場所へ
仲間を連れて行っても本当に大丈夫なんだろうか?
現地の団体にしても一度も顔を合わせたこともない。
(今だったらzoomもSkypeもあるけど・・・当時もあったけどマイナーだった)
「調整は任せとけ!」とか偉そーに言っちゃったけど
このツアーを主催する限り、参加者たちの安全を確保する責任はボクにはある。
それと、いくら情報が入ってきたと言ったところで、
やはり必要な情報が全て揃っている訳もない。
だったら・・・。
こりゃもう現地行くしかねーだろ
ということで被災地の事前視察が決定。
早々に日程を決めることになった。
さぁいよいよ被災地へ
やりだしたら、行動は早い。
早々に日程は決まったものの、ひとつ懸念点があった。
「福島第一原発」の状況
当時はメルトダウンするんじゃないか?
再爆発するんじゃないか?なんて憶測もあり。
最悪の場合、移動途中で被爆する可能性すらある。
また、さらに当時は東京でも感じるほど、余震が続いていた。
もしまた津波が襲ってきていて、その時に沿岸地域にいたとしたら・・・。
もし、周りに誰もない。
たった一人でいたとしたら即アウト。
ただ、いくら本人が行くと行っても、
誰かを危険にさらす訳にはいかない。
色々悩んだ結果、
自分1人で行くことにした。
ボク自身が勝手に始めたことなのに
人を巻き込むことは出来ない。
そういう判断でした。
せっかく行くので、現地が欲しいというものをヒアリングして
自分の車に詰め込んで、出発。
2011年4月13日
震災から1か月後のことでした。
The見切り発車・・・現地に向かうと。
↑事前視察で積んだ荷物です。
ボクひとりなので、前の座席まで荷物がパンパン。
現地の団体からの要望は大きく分けて2つ。
①小分けに出来るお菓子
②アイボン(目の角膜を洗浄する液)
①小分けに出来るお菓子
実はこれ。現地に行ってみて、すごく理解できました。
例えば避難所とかで、ポテトチップスなどの大き目の袋に入ったお菓子は出せません。
何故かと言えば、「平等に配れないから」です。
避難所って「食事」とか「食」に関することって結構大事で。
唯一の楽しみだったりするわけですよね。
特に子供達に渡すお菓子は、もらえる子ともらえない子がいたりすると、
めちゃくちゃトラブルになるそうですし。
避難所によっては、「全員分無いと捨ててしまう」ということまであるようです。
(ボクらも後々に避難所にお邪魔して、お話させてもらって実感しました。人間の業って・・・)
②アイボン
これはボランティアをするときに、必要なアイテムで。
津波により海底の土砂とか泥が家の中や庭なんかに堆積してしまいます。
ボランティアでは、それを避ける作業をするのですが、
海底にあったものなので地上にはない「菌」や「ウィルス」がいたりして、
その土砂が乾くと風で舞い上がって、目に入ってしまうことがある。
その時に目の角膜を傷つけたり、最悪の場合は感染してしまったりすることもあるようです。
そのため、作業中は必ずゴーグルが必要。終わった時にはアイボンで目の洗浄をするそうです。
とにかく荷物を乗せて、現地に向かう。
少しのわくわくと、とてつもない恐怖とともに。
ただ、向かってみると、移動はかなりスムーズでした。
高速道路は地震の影響で、道路がところどころ陥没していたり、
道がうねっていたりしましたが、スピードを出さなければ、何の問題もない。
仙台に着いてみると、意外な風景が。
全然普通
仙台市内、特に都市部は、ガスこそ3週間ほど止まったようですが、
電気は1週間以内で復旧したそうです。
地震による建物の影響はそれほど感じられず、
街中に人もかなりいました。
今回の視察は、現地での物流を確認することが目的の1つでしたので、
複数のスーパーやデパートなどを確認。
消耗品などは仙台市内であれば、ほぼ充足していて、
持ち込むようなものは無いと確認。
続いて、NPO法人にお邪魔して、打ち合わせをしました。
支援物資もちゃんとお渡しして。
実際に現地の方とお話して、この団体が支援しているのは「南三陸町」という町の
もともとは「歌津」という地域であることを始めて聞きました。
その「南三陸町」も甚大は被害にあったということ。
ボクは現地の人たちが何か望んでいるものは無いか?と聞きました。
そうしたら・・・。
「子供達のために鯉のぼりを揚げて欲しい」
という要望をいただいたんです。
そう。これが現在まで続く、「鯉のぼりプロジェクト」が始まった瞬間でした。
色々情報交換をさせてもらい、団体を出ました。
そこから時間のあったボクはあるところへ向かうことに。
この判断が結果的には自分の甘さを理解させるとともに
ある意味、ボクにとっては「地獄」のような瞬間を味わうことになりました。
被害の多かった「石巻」そして・・・。
ボクが向かったのは、被害の多かった地域。
「仙台市内」特に都心部では震災からたった1か月でも
ほぼ通常の生活が出来ているように感じられました。
GWに来た時に「南三陸町」の支援を考えたボクは、
実際に被害の多かった地域を見て回って、物流の状況などを把握しようとしました。
ただ、ホテルのチェックインなどを考えると、
南三陸町まで行ってしまうと、ちょっとリスクがある。
高速道路(有料道路かな?)は通っているけど、通行止めのところもあるかもしれない。
東北の地図は現地で買って用意したが、どうなっているのかわからない。
日が暮れてしまった中、もし気が付かないうち海側に出てしまって、
余震が起きてしまって、どこに行けばいいのか、わからなくなったら・・・。
あまり仙台市内から離れるのは得策ではない。
そこで、そこまで遠くない「石巻」に向かうことにしました。
高速を使って向かってみると、それほど影響があるようには見えない。
でも、それは高速は山側を走っているためで、
インターを降り、石巻に向かってみると・・・。
目の前には「被災地の本当の姿」が
道路は自衛隊の皆さんが汗を流してくれたおかげで、
かなり整備されていました。
しかし、津波で基礎から押し出されて、
半分車道にめり込んでいる家。
ふと見ると、屋根には車突き刺さっている。
もう街は元の姿がわからない状態。
復興作業を急ぐ工事車両が行き交っている中、
東京ナンバーの車が一台。
現実を見てしまって
自分でもわかる「明らかに場違い」でした。
正直、来るんじゃなかった。
地元の人、復興工事をしている人たちから見れば、
「邪魔以外の何物でもない」
いやーやっちまったなぁ・・・
メンタルはだだ下がり。
それでも実はここに来たのはもう1つ理由があった。
現地で支援の連携をさせていただく「NPO法人さん」にお持ちした支援物資の他に
出来れば避難所に直接お持ちしようと思い、
いくつかの物資(特にお子さん向けのお菓子)を車に積んであったんで。
それを届けたいなと。
そんな風に思っていたんです。
だから、石巻にある避難所(主に学校)へ伺ったんですね。
各避難所には、行政の対応者がいたので、
その方に趣旨を伝えると・・・。
「受け取れません」(きっぱり
へ?
きちんと「小分け」にしてあるお菓子ですし。
包装もきちんとしているので、変なものでもない。
避難所中の子供達に行きわたるよう(揉めないよう)に、
数も用意しています。
「そういう問題ではなく、決まりなんです」(メンドクサそうに)
確かに受付の後ろには倉庫みたいなのがあって、
物資はたくさんありました。
でも子供達が食べるお菓子のようなものは無い・・・。
確か勝手に持ってきたんです。
それは分かっている。
別に褒められたくてやってるわけでもない。
もしかしたら迷惑なのかもしれない。
わかる。わかるよ。
でも再度押してみた。
「そうなんですね。どこかを通せば、お渡しできるんでしょうか?」
「無理じゃないですか?」(きっぱり
あーそうですか。そうですよね・・・。
わかりました。ありがとうございました。
(*´Д`)
(*´Д`)
(*´Д`)
も・・・もしかしたら、他の避難所だったら、
受け取るところがあるかも・・・。
「受け取れません」(きっぱり
「受け取れません」(きっぱり
「受け取れません」(きっぱり
中には申し訳なさそうに「受け取れないんですよー」っておっしゃってくださる
行政担当者の方もいらっしゃったのですが。
伺ったところ全てで断られてしまいました。
「そっか。こういう時でも受け取れないんだな」
「ちゃんと事前に調べないとダメだなぁ」
「勉強になるなぁ・・・」
なんーて思えたらよかったんですけどね
そもそも1人で被災地に行って、
誰も知り合いがいない。
そんな中、別に「認められよう」とか、
「感謝されよう」とか思っていった訳じゃないんです。
でもキツい。
ボクはそれまでのビジネス人生で、
常に「強者」だったような気がします。
エンジニアとしては、かなり優秀だったし、
クライアントから認められてもいた。
相当に生意気だったと思うし。
でも、クライアントのために必死でやって、
自分の言葉に責任を持ってやってた。
だからこそ。クライアントにも強い口調で話こともあったし。
いい意味では、ケンカもした。
対等な立場で、パートナーシップでやろうと思ってやってきた。
それは前提として、自分の存在を認めてくれる周りがいて、
仲間がいたということなんだよな・・・。
東京から遠く離れた土地で、独りぼっち。
被災地での疎外感を感じている中、
感情をどう持っていけばいいかもわからない。
今考えてもメンタル的に結構きつかった。
営業の人たちはこんなこと毎日やってるのかと思うと、
本当に尊敬するなぁ・・・と。
結局、直接お渡ししようとした支援物資は
ひとまず持ち帰ることに。
そして、意図せずに女川へ
帰りの車の中、ラジオでは
「高速道路は復興工事の車両を優先させてください」
という放送が流れていたので。
夕暮れからだんだん暗くなるなか、
一般道を使って帰ることに・・・。
石巻は川が多くて、橋を渡らなきゃいけないのだけど、
工事車両がいっぱいいるので、邪魔しちゃ悪いと、
少し迂回して帰ろうとしたところ
全くの逆方向に行ってしまった。
それが意図せずに足を踏み入れることになったのが「女川」だった。
石巻と違う意味で被害の多かった女川地区。
完璧なリアス式海岸で、海岸線がすのこ状と言ったらいいのだろうか。
津波が幅を狭められた地形のせいで、一旦推進力を増して、
海岸になだれ込んだ。
そのため、石巻では見れなかった風景がそこにあった。
実は現地の様子をツアーに参加するメンバーに見せようと
被災地の風景を写真に収めようと思っていた。
しかし、石巻ではそれが出来なかった。
東京から勝手に来て、その風景を切り取る姿を見たら、
地元の人たちはどう思うだろうか。
そんなこともあり、まったく写真は撮れなかった。
しかし、女川で見たのはさらに衝撃的で、
「ごめんなさい。少しだけ撮らせてください」と祈りながら、
幾つかの写真を撮った。
この写真を出すのは、初めてだと思う。
建物の鉄骨がひしゃげてしまっている。
石巻では家が流されたり、基礎だけ残っているとか、そういうのはあったが、
鉄骨がこんなに曲がっているのは見たことがなかった。
全て車の中での撮影。
(良い子はまねしちゃダメ)
車を停めて、撮影する気力も精神力も
もー持ち合わせていなかった。
土地勘のないところで、さらに道が無いのがところどころあり、
さらに暗くなってしまったら、危険と判断。
とりあえず急いで帰ることにした・・・。
何よりも疲れ切ってしまっていて、早くホテルに戻って休みたかった。
今日はここまでとします。
読んでる方々はそんなでもないと思いますけど。
書いている本人は、当時のことを思い出して・・・
気が相当重いですw
自分の甘さや考えの浅さなど、本当に思い知らされる旅でした。
この時の経験がその後の人生観やビジネスへの向き合い方に
かなり影響していると思います。
翌日も仙台市内で、今度はボランティアの支援先を探していくのですが
「捨てる神あれば拾う神あり」という出来事があります。
(これ前にもブログで書いたな)
少し救われた形になりましたが、
そのあたりの話は次回としたいと思います。
ではまた次回に。
ボクが代表をしている一般社団法人について
2009年に先輩経営者からの話をきっかけに「社会貢献事業」を始めるにあたり、
活動をする上では、別法人にした方が良いだろうということで、2011年1月に設立された今年で活動が11年目一般社団法人です。
主に「児童養護施設」の支援と、設立した年に発生してしまった「東日本大震災」の支援事業を行っています。
主に開催しているのは2つ
①児童養護施設向け支援事業「こころのあかり絵画コンクール」
今年で第10回目となりました。
全国の児童養護施設向けに「絵画コンクール」を開催しております。
優秀作品にはご本人が書いた絵をグラフィックアートにして、素敵な額縁に入れてプレゼントしています。
詳細についてはこちら↓
http://www.z-ips.jp/contribution/concours/
活動報告についてはこちら↓
http://www.z-ips.jp/activity/activity-category/orphanage/
②東日本大震災支援事業「鯉のぼりプロジェクト」
2011年の震災当時より、代表自らが被災地に赴き、支援を続けております。
現在は、福島県相馬市の「みなと保育園」さんにて、子ども達の成長を願い、毎年「鯉のぼり」を揚げるイベントを行っており、東京からお連れしたパフォーマーによるショーを行い、子ども達に喜んでもらっています。
この様子は毎年地元のメディアでも取り上げていただいております。
毎年のクリスマスには、ささやかですが、プレゼントも・・・。
そんなイベントも今年で丸10年を迎えます。
詳細についてはこちら↓
http://www.z-ips.jp/contribution/caresupport/
活動報告についてはこちら↓
http://www.z-ips.jp/activity/activity-category/tohoku-earthquake/
学生インターンの募集内容について
■インターンとしてご担当いただく内容
上記の社団法人と連携しつつ、弊社の社会貢献事業として、その広報・PRとして、広報活動やSNS運用が主なお仕事つぃて担当していただきます。
また、4月に開催予定のクラウドファインディングでは企画から運用までを担当していただきます。
活動については、弊社の学生インターンチームの一員で、グループで実施していただきます。
・社会貢献に興味のある方
・将来、子どもにかかわるお仕事を目指されている方
・クラウドファンディングに興味のある方
・社会起業に興味のある方
・ビジネスと社会貢献の関わりを実体験したい方
他では絶対に体験できない「即戦力のビジネス力」が身に付きます。
「えー?そんなの信じらんなーい」って方は、
ぜひ弊社のインターンミーティングに見学に来てください。
普通の学生だったインターン生たちがどう育っているかがわかると思いますよ。
ぜひぜひお待ちしております。